suchanのブログ

ネフローゼ症候群になって

ご安全に!【特定医療費(指定難病) 医療受給者証】

ネフローゼ症候群は指定難病なので、医療費助成制度の対象である。

3割負担の場合は2割負担に軽減され、階層区分によってひと月の自己限度負担額が設定される。

制度を利用するには申請手続きが必要。

 

必要書類を準備し、保健福祉事務所にて申請した。

受給者証が届くまで2ヶ月程度。

 

申請日以降の医療費は対象となるため、受給者証が届くまでのものは「特定医療費請求書」を使って払戻金を受け取ることになる。

 

受給者証と請求申請の書類が届いたので、医療機関と薬局にて特定医療費証明書欄に記載を依頼。

再び保健福祉事務所を訪れ、払い戻しの申請を済ませた。

 

ちなみに「郵送も可」である。

 

外来のときは毎回受給者証を提示。

腎臓内科と眼科、それと薬局。

 

受給者証には有効期限がある。

引き続き必要な場合は更新が必要。

案内が届くので忘れることはない。

 

初めてにして二度訪れることになった保健福祉事務所。

様々な機能があって、困りごとができたら頼れる「場所」のようだ。

 

まだまだ知らないことってたくさんあるなぁ。

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心得:其の十七

いざというときに相談できる手段があると安心でしょう巻

 

ご安全に!【遺伝子検査】

「相手を知り己を知る」

これは何かを戦略するときに大切なこと。

 

遺伝子検査には以前から興味があったものの、どれを選択したらよいのか分からずにいた。そんな中、加入している健保から「お知らせ」が届く。

 

最先端ゲノム解析

~あなたの未来を覗いてみませんか?

 

しかも20%offの優待価格。

割引された分で、オプションをつけた。通常は2型糖尿病、心疾患、脳梗塞、肺がんのの4つだが、大腸がんと乳がんについても解析を追加。

 

他に290項目の体質についての検査ができ、縄文人度解析なる自分のルーツを知ることが出来るコンテンツもあるらしい。

 

遺伝子は生涯変わらない体の設計図とある。

そして、遺伝の影響があるものと環境要因で変わる部分があるとのこと。

 

環境要因とは育ってきた環境や生活習慣。

 

この検査で自分の健康リスクが可視化される。

病気になりやすいと解析されたら?

 

出来ることがきっとある。

自分のやるべきことが分かるということ。

しかも正しくアプローチ出来るはず。

 

自分の「遺伝子」を攻略するのだ。

 

むやみに食事制限や運動をしても成果が出ないときはおそらくやり方が合っていない。

長い時間をかけて絡まった糸をほどくにはそれなりの時間が必要だと思う。少しずつでもほどいていけるように、その糸口が見つかればいい。

 

検査キットがほどなく届いた。

アプリから出身地や生活面に関するアンケートに回答。

唾液を採取し、ポストに投函した。

 

私たちの臓器は24時間休みなく働いてくれている。

正しく機能してもらうにはメンテナンスが必要。

 

食べ過ぎないことや疲れたら体を休めること、リフレッシュも有効なセルフケアである。

 

自分のために出来ることを実行しよう。

動けるのはけっして当たり前ではないのだから。

 

検体到着後3ヶ月以内に結果が届くそうだ。

結果は如何に?

 

心得:其の十六

本当にやりたいことはそのタイミングがきっと訪れるでしょうの巻

 

 

 

 

 

 

 

 

ご安全に!【外来は答え合わせ】

退院後は通院にて治療を継続している。

服薬管理の他に自分でできることは、疲労をためず規則正しい生活をすることや塩分を制限した食生活を心がけること、そして適正体重をコントロールすること。

 

退院後の一番の不安が食事の管理だったので、退院前に栄養指導を希望した。

 

これまでの食生活を振り返り、今後の摂取カロリーやタンパク質の量、減塩のコツなどをご教授いただいたおかげで退院後の食生活がイメージ出来たことは大きかった。

 

野菜を多めに取ることを意識し、肉や魚は一回の食事で100㌘、ご飯は150㌘。食べる順番やよく噛むことはこれまで通り継続する。

 

指示はなかったが、塩分計や減塩調味料、低タンパク米を購入してみた。

 

買い物に行くと食品成分表示や原材料を確認。

これまで使っていた三温糖やキビ糖を甜菜糖に、精製塩は天然塩に変えた。

 

このお惣菜の塩分量はどれくらだろう?

味付けしてある肉や魚も然り。

無塩の麺類や糖質控えめ表示のある食品にも目が向くようになる。

 

病院での食事量を参考にし、カロリー計算はしていない。というよりも正直そこまで出来ないので腹八分目を心がけた。

 

ほんと、我ながらざっくり。

 

日々の体重測定やお通じの他に、体の違和感などを感じることはあっても食生活が正しいかどうかは知る由もなく、血液検査の結果が全てである。

 

外来では採血・採尿、血圧を計って診察を待つ。

 

名前を呼ばれ、診察が始まると聞かれる「体調はどうですか?」。

本音を言うと先に聞きたい「血液検査の結果はどうですか?」。

 

検査結果を聞くまで安心できず、不調や些細な異変を伝えることが多い。表情も声も暗いと思う。

 

特に、今回の外来は寒くなってから不調を感じていたし、しかも年末年始を過ごした後でいつもより気が重かった。

 

不調を報告した後、主治医から聞かされた「血液検査の結果はいいですよ」。

 

!!!

 

推定塩分摂取量も6㌘以下で尿タンパクも抑えられていた。

「症状が落ち着いている状態」である。

 

退院後、プレドニンは順調に減薬され、今回も減薬となった。

 

そして何よりも驚いたのはコレステロール値。

昨年の定期健康診断で産業医に「パニック値」と言われ、加療中もずっと高かったたあのコレステロールが「基準値」だ!

 

数字で見えるとモチベーションも上がる。

これって食生活の成果?

 

腎臓を労る食事。

塩分制限はマスト。

 

カリウム、タンパク、カロリー、血糖値も考えたら糖質にも気をつけなければならず…突き詰めていくともう何を食べたらいいのか分からない。

 

考えても分からないときは基本に戻ろう。

「栄養バランスのよい食事」

・旬のものを戴く

・偏らないように食品の種類を増やす

 

これを意識して一日三食。

 

食生活が変わり今の食事に慣れてくると、味の濃いものや添加物の多いものにとても敏感になった。

 

体に取り込めば手足のむくみや体が重いなどプチ不調。

自分の体が喜ぶ食事をしていきたい…そう思えるようになる。

 

野菜料理のレパートリーを増やそうと思い、退院後は通信教育で「精進料理」講座にチャレンジ。

 

相手を思い心を込めて丁寧に作る

素材を生かしきる

命に感謝をして戴く

 

四季折々の素材で、心と体を豊かに、元気にする知恵や教えがたくさん詰まっているのが精進料理。

 

「薬膳料理」や「食養生」といった言葉にも興味を惹かれる。

 

食べることが薬になる

食事に勝る薬はない

 

そんな言葉が心に響く。

 

自分に合っている食生活はまだまだ模索中だけど…

テーマは「心と体が喜ぶ食事」に決めた。

 

心得:其の十五

食べることは生きることの巻

ご安全に!【私ができること】

入院中の話になるが、フィジカルはエビデンスに基づいた治療をしていただく一方、メンタルでは根拠のない自信を持って取り組んだことがある。

 

生活習慣を変えるべく、いつもと違うことをしようと心がけた。

 

生活面:とにかく丁寧に過ごしてみる

①洗面台を使用したら鏡や水滴などを拭きキレイに

②起床したら掛け布団をたたみシーツのよれを直す

③部屋の整理整頓

④トイレを清潔に保つ

⑤スリッパをそろえる

⑥挨拶をする

⑦食事を味わう

⑧シャワーは毎日

⑨空き時間の活用

⑩気づいたゴミは拾って捨てる

⑪就寝前はデジタルデトックス

⑫やろうと思ったことは後回しにせずすぐやる

 

小さなことかもしれないが、気持ちが安定するのが分かる。やらないと気持ち悪いとさえ感じる。やれない時は時間を変えて…それでも出来ないときはそういうこともあるとする。

 

そうしていくと、自分だけでなく周囲の変化を感じた。

いつもより丁寧に掃除をしてもらえたり、お願いしたことをすぐにやってもらえたりと関わってくれる方々がみなさんとてもよい対応をしてくださるのだ。

 

すぐ行動を起こすことで、しようと思ったことを忘れることがなくなる。やることをどんどんやっていくので時間に余裕が出来る。行動パターンが出来たことで、看護師さんたちとのタイミングが不思議と合っていくのが心地よかった。

 

私が患者としての役割を果たすことで、それぞれの役割のバランスが取れていったのだと思っている。

 

体調面:良さそうと思ったことを試してみる

①食後に脳を使う

②食後の体操

③採血前の水分補給&リラックス

④朝食後はトイレに行く

⑤服薬は前頭葉に言い聞かせてから

⑥シャワー後のマッサージ

⑦意識して呼吸をする

 

①②は血糖値対策。①の例は苦手な分野の読書。そもそも関心がないのだから頭に入ってこず、思考停止。棋士のようにいくつも先の手を考えなければ脳でエネルギーは消費されない…。②は継続することに意味があるとする。

 

カロリーの高いおかずや小さくても糖分の高いおやつは血糖値に多大な影響があることは確信できた。

 

③は大好きな漫画を読んでクスッと笑った後の採血の時、3本あっという間に採れたことがあった。

 

採血時、緊張するのはされる側だけでなくする側も同じこと。得意な人や経験の多い方は慣れているがそうでない方もいるわけで。

 

慣れていない方は針を刺すまでが長い、つまりは慎重にやってくれているということ。なら、私も出来ることをするまでだ。

 

リラックスする

水分をとる

肘は伸ばし深呼吸

これが採血する時に私がやれること。

 

⑤については、脳がすべてを決めるというような本を読んだことがきっかけ。脳腸相関という言葉もあるくらいだ。服薬時には前頭葉に訴えるべく頭に手を当て「まえがしら ようこさん」と呼びかけてから、「○○(効能)の薬を飲みます」と呟く。ネーミングした方が愛着が湧くし、何より効果が期待できそうである。

 

お通じのリズムをつけることに加えて、朝食後のトイレでも呼びかけた。

「出しますよ、まえがしら ようこさん!」

 

ネーミングしたものは他にもある。

 

ネフローゼ症候群は腎臓の疾患だ。

腎臓は二つある臓器。

まだ残っている機能を長く保つためと今まで酷使してきた分、たくさん労ってやらなければならない。

 

私は双子が欲しいと思っていたことがあった。

もしかしたらその夢が叶ったのかもしれない。

 

愛着を持って二人を労っていこう。

腎くん&Kidneyちゃん。

 

心得:其の十四

自分の役割を考えその責任を果たしましょうの巻

 

 

 

 

ご安全に!【プレドニン…ステロイド治療】

2024年1月。

昨年11月下旬に風邪の症状があり耳鼻科を受診していたが、年明けからまた風邪気味。免疫力の低下は否めない。加えて右足のしびれ、冷たいものが急に凍みる感覚、座り姿勢から立ち上がり歩き出す時の鼠径部の痛み、左下瞼の痙攣などなど体調が少し気になる。

 

年末年始で食生活も乱れがち。

「規則正しい生活」の実行は言うほど簡単じゃない。

 

そしてここに来て一番気になっているのが、洗髪時の抜け毛だ。

指に絡みつき、排水溝に溜まっていく。

ドライヤーの後に洗面所に落ちた毛髪。

これまでの比ではなく、更に増えていけばもはやこれはホラー。

体毛は濃くなるのに頭髪は抜けていくのだからちょっと不思議。

 

プレドニンステロイド治療の副作用なのだと思う。

他の気になる副作用はムーンフェイス。いつも行っている美容院で事情を伝えたところ、顔周りの長さを配慮してくれた。最近では自分でも見慣れてきたこともあってか一時よりも気にならなくなった。

 

あとは不眠?私の場合は中途覚醒

必ず1時2時辺りに目が覚める。スマホで時間を確認…それで終わればいいのだがついつい…。「デジタルデトックス」が質のよい睡眠を確保することは分かっているのに…これまた簡単じゃあない。

 

プレドニンを服用するにあたり、「関節など痛みが出たら教えてください」と主治医から言われていたことを思い出した。治療を始めてからちょうど5ヶ月が経つ。

 

骨粗鬆症防止や血圧を下げる薬、感染症を防ぐ薬、コレステロールや食後血糖値を下げる薬、そして胃の荒れを防ぐ薬を継続して飲んでいる。

 

私の病気に一番有効な薬を使う、そして副作用の対処のために薬を使う。

 

コレステロール値はもともと高く、数年前にクレストールをしばらく服用していた時期があった。年齢的にも増えてくる…そんな話を耳にしていたのでどこか楽観視していたように思う。それと平行して体の痒みに悩まされ皮膚科の通院が増えた。

 

首回りの湿疹は紫外線かアクセサリーなど金属の刺激か、それとも白髪染めが刺激になったのか…体の発疹は汗?衣服の繊維?などなどその都度受診し塗り薬と飲み薬の処方を受けていた。今思えば、クレストールの副作用だったのかもしれない。

 

処方してくれた医師や薬剤師からも薬については説明があったはずだが、薬のアレルギーなど思いもよらなかった。

 

今は違う種類のコレステロールの薬を処方してもらえたおかげであの頃の皮膚科通いが嘘のように痒み知らずだ。私はスタチン系の薬が合わないらしい。

 

腎臓内科を初受診した時に、これまで飲んでいた薬について聞かれた。普段あまり薬を飲まないので考えていると、「漢方薬とか…これけっこう大事ですよ」と後に主治医となるDr.が少し強い口調で畳みかける。

 

食べ物も飲み物も、そして薬も…口にするものに無頓着ではいけない。

 

心得:其の十三

何事も一長一短、メリットだけでなくデメリットにも目を向けましょうの巻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご安全に!【母とわたし】

治療薬の副作用もあるのか血糖値が高めだ。

「お父さんにそっくりで血統書付き」と私に言い続けてきた母。血糖にかけていたとすれば座布団進呈ものであるが、笑い事ではない。あいにく高いポテンシャルを持ち合わせている事実もある。

 

私は3,950㌘で産まれた。長男に継ぐ長女、出産したときには女の子で嬉しかったでしょうと母に訪ねたことがある。

 

「あんまり大きくてなかなか出てこなくて…痛くて…出てきたらひっぱたいてやろうと思ってた」

母が笑いながら答える。返ってきた言葉が想像と違いすぎた。

 

産みの苦しみは私も分かるので理解したいところだが、でかくなったのは私のせいではない。時代なのだろう、栄養をたくさんとってくれたのだと思う。

※ひっぱたかれた事実はない

 

私はその後もすくすく育った。

育ちすぎ?母を真ん中に兄と3人で着席している遠い記憶…小学生のときに肥満児対象の呼び出しがあったらしい。

 

「両脇に二人だなんて、お母さん恥ずかしかったわ」と宣う母。「食べる顔が可愛くて…あんたが欲しがるから…」これも私のせいではない(と思う)。

 

小学校高学年。

運動会での記念撮影時、見守っていた母が先生に何やら耳打ち。先生が私に近づきこう言った。「腰に当てた手を少し下げてってお母様が…。」隣にはスレンダーな同級生がいる。マーチングの衣装を着て誇らしげにポーズを取る娘にもっと手を下げろとジェスチャーを送る母の姿が目に入る。もはや何のポーズだ…。必死で笑顔を取り繕う私。

 

母は我が道を行く人だ。思ったことを言い、やりたいことをやっているように見える。

 

母はよくしゃべり、私は口数が少ない。

そんな私に「根暗」と母は言う。そして「お母さんの子じゃないみたい」とも。

 

今やれるのになぜ明日やるの?が母。

明日やれるのになぜ今やるの?が私。

 

私は母にも嫌悪感を抱き早く家を出たいと思うようになった。

 

家を出てからは「健康診断受けてるの?」が母の常套句。心配してくれるのはありがたいがいつも余計な一言がつく。「あんたは血統書付き」。

 

遺伝子レベルでは致し方ないでしょと半ばあきらめモード…待って…ふと思う。これは小さい頃から「お父さんそっくり」と言われ続けてきた呪縛かもしれない。

 

私には母の血も流れている。

検査をしたことがなかったので父と同じだと思っていた血液型も母と同じA型だった。

母の遺伝子を活性化させたらどうなの?

 

よくしゃべり、すぐ動く。

言いたいことは言う。

やりたいことをやる。

 

84歳になった今でも元気でいてくれる母。

子育ては反面教師にしたけれど、生き方はお手本にしてみよう。

 

これが私が挑む遺伝子との戦い。

 

心得:其の十二

言いたいことを言うときは言い方を工夫してみましょうの

 

 

ご安全に!【父とわたし】

入院中のある晩、雷鳴で目が覚めた。

ブラインド越しに時折外が明るくなる。隙間から覗いてみると、遠くにある山並みがイルミネーションかプロジェクトマッピングかのように光っていた。いや、エレクトリカルパレードかな。

 

北関東出身なので雷には慣れている。夏の夕立は日常だったし、雨の降る前の匂いや雨上がりのひんやりした空気が懐かしく思い出された。

 

子供時代、雷が近いときはさすがに怖かった。雷が光ると耳を塞ぎ鳴る音に備える。落ちた時の音は文字にすると「ミシミシ ガラガラガッシャーン」。立て続けに何度も落ちることもある。形容できないほどの大きな音、自然の力強さ、そのエネルギーは凄まじいものだった。

 

そんなことを思いながら目を閉じてみる。瞼の上からでも感じる光と音の饗宴。雷の音がまるでライオンの雄叫びのように聞こえる。8月1日深夜、ライオンズゲートが開く時期。

 

2019年4月。

ゴロゴロ、ゴロゴロ。遠くで鳴っている雷の音が聞こえる。ひと雨来るかな…と思っていたら着信のバイブレーション。兄からだった。嫌な予感がした。

 

その年の正月は病院で父に会った。前の週にも会ったばかり…笑顔を見せるなど反応もよかった。退院したら介護が必要だろう、どう手伝えるかを考えていた。

 

私は兄と弟との3人兄弟だ。父は女の子一人ということもあってたくさんの愛情を注いでくれた。でもそれは今思えば…である。

 

習い事の送迎、帰り道の外食、多過ぎるスキンシップ、茶化すかのように気に障ることを言い声もでかい。吐くほど飲んで酔っぱらっている姿を見るのも嫌だった。思春期になると嫌悪感が増し、避けるようになる。

 

大学進学を機に家を出た。社会人になると帰省も減った。たまには連絡しろと言うからたまに電話をする。「お父さん、ニコニコで顔が緩みっぱなし。」と母が言う。

 

長女を出産した時は予定日より20日も早く、しかも事前に入院していたことを言っていなかった。夜中2:57誕生、夜が明けるのを待って連絡をする。新幹線と在来線を乗り継ぎ5時間以上かかる距離だ、自営業なので仕事の都合もあるはず…来るのは翌日と思っていたら辺りが暗くなった頃聞き覚えのあるでかい声…なんとその日のうちに駆けつけてくれたのだからこちらが驚く。

 

初孫を抱く父の顔は緩みっぱなしだった。

 

幼い頃親戚やご近所さんから「お父さんそっくりね」と言われることがほんとに嫌だった。でもそうなのだろう…。祖母も父も糖尿病を患い、父の晩年は入退院の繰り返し。「お父さんそっくりで血統書付きなんだから気をつけなさい」と母によく言われていた。遺伝子との戦いがやがて訪れる。

 

父が亡くなったのは新元号が「令和」と世間が知った日。

お父さん、ありがとう。

あの時の雷の音、お父さんが会いに来てくれたのだと思ってるよ。

 

私は雷が怖くない。

 

 

心得:其の十一

生きていると抗えないことがあったりしますの巻