入院中のある晩、雷鳴で目が覚めた。
ブラインド越しに時折外が明るくなる。隙間から覗いてみると、遠くにある山並みがイルミネーションかプロジェクトマッピングかのように光っていた。いや、エレクトリカルパレードかな。
北関東出身なので雷には慣れている。夏の夕立は日常だったし、雨の降る前の匂いや雨上がりのひんやりした空気が懐かしく思い出された。
子供時代、雷が近いときはさすがに怖かった。雷が光ると耳を塞ぎ鳴る音に備える。落ちた時の音は文字にすると「ミシミシ ガラガラガッシャーン」。立て続けに何度も落ちることもある。形容できないほどの大きな音、自然の力強さ、そのエネルギーは凄まじいものだった。
そんなことを思いながら目を閉じてみる。瞼の上からでも感じる光と音の饗宴。雷の音がまるでライオンの雄叫びのように聞こえる。8月1日深夜、ライオンズゲートが開く時期。
2019年4月。
ゴロゴロ、ゴロゴロ。遠くで鳴っている雷の音が聞こえる。ひと雨来るかな…と思っていたら着信のバイブレーション。兄からだった。嫌な予感がした。
その年の正月は病院で父に会った。前の週にも会ったばかり…笑顔を見せるなど反応もよかった。退院したら介護が必要だろう、どう手伝えるかを考えていた。
私は兄と弟との3人兄弟だ。父は女の子一人ということもあってたくさんの愛情を注いでくれた。でもそれは今思えば…である。
習い事の送迎、帰り道の外食、多過ぎるスキンシップ、茶化すかのように気に障ることを言い声もでかい。吐くほど飲んで酔っぱらっている姿を見るのも嫌だった。思春期になると嫌悪感が増し、避けるようになる。
大学進学を機に家を出た。社会人になると帰省も減った。たまには連絡しろと言うからたまに電話をする。「お父さん、ニコニコで顔が緩みっぱなし。」と母が言う。
長女を出産した時は予定日より20日も早く、しかも事前に入院していたことを言っていなかった。夜中2:57誕生、夜が明けるのを待って連絡をする。新幹線と在来線を乗り継ぎ5時間以上かかる距離だ、自営業なので仕事の都合もあるはず…来るのは翌日と思っていたら辺りが暗くなった頃聞き覚えのあるでかい声…なんとその日のうちに駆けつけてくれたのだからこちらが驚く。
初孫を抱く父の顔は緩みっぱなしだった。
幼い頃親戚やご近所さんから「お父さんそっくりね」と言われることがほんとに嫌だった。でもそうなのだろう…。祖母も父も糖尿病を患い、父の晩年は入退院の繰り返し。「お父さんそっくりで血統書付きなんだから気をつけなさい」と母によく言われていた。遺伝子との戦いがやがて訪れる。
父が亡くなったのは新元号が「令和」と世間が知った日。
お父さん、ありがとう。
あの時の雷の音、お父さんが会いに来てくれたのだと思ってるよ。
私は雷が怖くない。
心得:其の十一
生きていると抗えないことがあったりしますの巻